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ブランシュ・ド・フランス (オルレアン公爵夫人) : ウィキペディア日本語版 | ブランシュ・ド・フランス (オルレアン公爵夫人)
ブランシュ・ド・フランス(Blanche de France, 1328年 - 1382年?/1393年?)は、フランス王シャルル4世と3番目の王妃ジャンヌ・デヴルーの娘。シャルル4世の死後に誕生した末子である。 カペー家嫡流はシャルル4世の死によって男子が絶えたものの、王妃ジャンヌは夫が死去した1328年2月時点で第3子を懐妊中であり(すでに夭逝していた第1子ジャンヌ、当時はまだ存命の第2子マリーとも女子であった)、男子の出産が期待された。しかし生まれたのが女子ブランシュであったため、カペー朝の断絶が確定し、サリカ法を根拠にヴァロワ家のフィリップ6世が即位した。ただしカペー家の女子は他にも、シャルル4世の長兄ルイ10世の娘にジャンヌ、次兄フィリップ5世の娘にジャンヌ、マルグリットの他2人といった、ブランシュの従姉にあたる王女がおり、ルイ10世の娘のジャンヌにはナバラ王国(カペー朝末期にフランス王が王位を兼ねていた)の王位継承が認められた。 1345年、ブランシュは父方・母方の双方で又従弟に当たる、フィリップ6世の息子オルレアン公フィリップと結婚した。2人の間に子供はなく、ブランシュは夫フィリップと1376年に死別した。 死後、ブランシュはサン=ドニ大聖堂に葬られた。
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